18日目前半:熊本地震被災地にてボランティア活動

崇城大学ボランティアビレッジ 歩記

日本縦断18日目(2016年6月22日)

ボランティア午前の部

昨日は40km近く歩いた末にゴール寸前でトレーラーがパンクし、かなり苦しんだ。その後なんとか無事、崇城大学ボランティアビレッジに到着し、受付を済ませたが辺りはもう真っ暗だった。それから暗闇の中でテントを張り、歩いてコンビニへ夕食の買い出しに行き、最後に荷物の整理やシャワーなどなどで結局睡眠は3~4時間ほどだった。

なので今日はゆっくり休もうかと思っていたが、ビレッジの流れに身を任せて朝からボランティアに参加することになった。人でも足りないと言っていたし昨日助けられたこともあり、今日から早速働くことにした。

熊本地震ボランティア初日

午前中のボランティアは支援物資の整理だ。元々は物資が届いた時点で整理しているはずなのだが、実は一昨日の豪雨でこのボランティアビレッジは水没しているのだ。被災地を支援する基地が被災してしまったのだ。

ちなみに僕らはたまたま一昨日はホテルで休養していたので豪雨の被害にあわずに済んでいた。

これは水没被害にあったボランティアの方が撮った写真(後ほど登場する隆さん)

この水没によってビレッジのありとあらゆるものがその場から流されたり浮き上がっていたらしい。それは全国各地から送られてきた支援物資も例外ではなかった。そのため物資の中には使用できなくなった物が出てきていたのだった。

汚水に晒されたその支援物資の仕分け作業と整理が僕ら夫婦にとって最初のボランティアとしての仕事となった。

まず僕と妻は男性班(比較的重量な物の作業)と女性班(比較的軽量な物の作業)に分かれた。

勝手の分からない僕らは他のボランティアさんの動きを真似、指示を仰ぎどうにかこうにか作業に加わる。

ボランティアの中には既に数週間滞在している方もいれば、僕らと同様今日が初日という方もいた。なのでお互い慣れた仲というわけではなく、ほとんどの方が始めはぎこちなく互いの様子を見ながら作業していた。しかし作業は力を抜かずせっせと汗を流した。

すると、いつのまにか呼吸が合ってきて、みんな各々の役割やポジションが確立され、チームワークも著しく良くなってきた。何かしらの仲間意識が芽生えていたのは僕だけではなかったはずだ。

終盤では互いに声を掛け合いながら汗と共に笑顔も光っていた。

少し離れた場所で妻も女性陣と頑張っている様子。友達もできた様子だった。

支援物資の整理で学んだこと

支援物資はとても有り難く多くの被災者の命綱であることは間違いない。しかしその支援物資が支援の手を止めてしまうことがある。あえてはっきり言ってしまうと邪魔をしてしまうことがしばしばあるという。そして時には費用が発せする場合もあるのだ。

これはボランティアをするまで知らなかったことだ。いや、メディアを通して何度か目にしていた情報かもしれないが、被災者でもなければ現場に入ったこともない僕からすれば、そこまで注目していた情報ではなかったのだろう。きっと心に留めず無意識のうちに流していたのだ。反省である。

僕が整理したのは主にペットボトルの飲料水なのだが、500mlのペットボトル飲料水は既にニーズがなく沢山余っていた。おそらく被災者も貰っても使い道がなく、逆に困るため貰っていかないのだろう。それらが溜まっていくと置く場所に困る。しかし善意で集められた物資をそう簡単に捨てるわけにはいかないのは当然の心理だろう。

この余った支援物資を整理するにも、保管しておくのにも人手やスペース、時にはお金もかかる。現にこの作業に関わったのは各班合わせて総勢20名以上はいたと思う。この人手やお金をもっと被災者支援に回せればより多くの人たちが救われよう。

支援物資に関しはニーズの変化への対応が今後の被災地支援の課題の一つであることは間違いない。

以下サイトに作業の様子が掲載されている。残念ながら僕らは写っていないが、写真の奥で青いビブスを着ている集団の中に僕らがいる。4枚目の写真(かりかり梅を食べている写真。かりかり梅がめちゃくちゃ旨かった!)の左側に移ってるペットボトルが僕らが洗って並べたものだ。

森さんありがとう!再び豪雨の予報があり、雨対策と西原中学校にて炊き出し
(災害救援ネットワーク北海道)

ボランティア午後の部

午後からは炊き出しのボランティアをした。場所は西原村にある中学校。メニューは冷やしうどん。人数は定かではないが、80人分くらいだったと思う。

到着して早々にトラックから道具や食材を降ろして学校業務の邪魔にならないよう、準備を開始する。

西原村は被害が大きい地域と聞いていたが、学校自体は既に再開していた。なので準備をしている間もそばを中学生や先生方が通る。たまにこの中学校に避難している被災者の方も通るが、その背中はなんだか申し訳なさそうである。

僕らは挨拶をしながら黙々と準備をした。まずうどんを茹でるためのお湯を沸かし、並行で器や箸を用意したりネギを切ったりする。効率よくみんなで手分けしながらリーダーの指示に従い黙々と作業する。

準備が一通り終わり炊き出し提供の時刻を待っていると、ここで問題が発生した。炊き出しの提供時刻が1時間ほど遅れるとの知らせが入った。理由は分からないが、とりあえず指示に従う他ない。

ちなみに翌日も炊き出しのボランティアに参加したのだが、そこでも時間の変更があった。

色々話を聞いているとボランティア団体の強みはこういった臨機応変な対応のようだ。被災者のニーズを常に収集・把握し、できる限り被災者や被災地に合わせて動けるこのフットワークの軽さがボランティアの強みだと感じた。

時間の変更にも臨機応変に対応するのはそういった寄り添う姿勢やフットワークの軽さから来ているのだろう。

これも僕らにとって新たな学びとなった。

つかの間の休憩の人となり

避難している皆さんを待たせないため、到着後すぐに準備をはじめていたので時間には余裕があったのだが、さらに1時間ほどプラスで時間が空いてしまった。

うどんは先にゆでてしまうと伸びるので、いつでも茹でられる体制を保ったままつかの間の休憩に入る。この休憩で2人の人と交流を深めることができた。

サッカー部がボールを蹴ったり、陸上部がその周りを走っている様子を見ながら、僕らは初めてゆっくり話すことができた。

清き青年の人となり

二十歳を過ぎたこの青年はがっしりした体形で背も外人並みに高く顔もハンサムである。しかし外見よりも中身が凄かった。彼は高校からアメリカに住んでいて今もアメリカの大学に通っているという。

彼の名は隆(たかし)。

これが浦辺隆君

今は休み期間中で日本に帰ってきており、今回は親の反対を押し切ってボランティアに参加しているそうだ。

親の子を思う気持ちは理解できる。余震もまだ続く中、さらに豪雨で土砂崩れが起きたり川が氾濫したりで死者もでている一帯に我が子を行かせたくない気持ちは十分理解できる。僕も人の親なら反対したかもしれない。

しかし彼はもう大人だ。選択の自由があろう。それを存分に行使して今回は強引に参加したのだそうだ。なぜ“今回は”かというと、実は彼は高校時代にも日本の被災地(東日本大震災だったかは記憶が定かではない)でボランティアに参加しようと試みたことがあった。しかしその時も親の強い反対があり泣く泣く断念したそうだ。

ここで普通ならそんな親の気持ちなど考える余裕もなく「自分の気持ちをなんで分かってくれないんだ!」と喧嘩になりそうなものだが、彼は違う。彼はとても優しい性格で相手の立場になって考えることができる人だった。彼は親の気持ちも理解し、その時は親の言うことに従ったそうだ。折れたのではなく理解したところがミソである。

しかしこの時ボランティアに行けなかった思いがずっと残っており、今回は成人もしているので親の反対を振り切って参加している、という経緯だった。彼は本当に被災地の力になりたいという思いが強く、現場でも積極的に仕事を求めていた。コミュニケーション能力も高く、自分からあの大きな体を低くし、低姿勢でどんどん皆の輪に入っていった。

それを見て僕も「ああなれたらなぁ」と羨んだ。

ちなみに彼とは午前中の作業でも一緒だったが、彼から話しかけてくれてとても助かった。勝手も分からず、輪にも入れず右往左往していた新人の僕たち夫婦を見かねて声をかけてくれたのだろう。とても腰が低く、「僕も分からないので一緒に頑張りましょう!」と同じ目線で僕らの緊張をほぐしてくれた。ここでも優しい一面が現れていた。ちなみに彼は既に1週間ほど前からここでボランティアをしているので僕らより色々とここの事が分かっているのだ。

成人になりたてでこんなことができる青年は正直初めて会った。僕は尊敬という言葉はあまり安易に使うことを好まないが、隆君には躊躇わず使える。そうさせるのもまた彼の魅力なのだろう。

二十歳そこらの大学生は普通、長期休みといえば友達とクラブに行ったり居酒屋に行ったり旅行に行ったりして遊ぶだろう。しかし彼はボランティアを選んだのである。その強い意志で。

自分の高校時代を振り返る

彼と話しながら僕の頭には自分の高校時代の記憶が走馬灯のように浮かんでいた。原因は僕が彼とは真逆の生き方をしてきたからなのだろう。

僕が高校生の時といえば、肩まで伸びた茶色の髪をなびかせ、耳にはデカいピアスをはめ、制服など着ず授業もよくサボっていた。授業中、近所の食堂に早めの昼食をとっていたら先生と出くわしたり、バイクで登校して見つかったり、飲酒や喫煙には興味がないものの校則など無視しかなり自由に生きていた。

卒業も卒業式ギリギリまで1~3年の追試を受けていた。もちろん成績は学年最下位だった。(ちなみにこの高校の前に僕は別の高校を自主退学している。)

我が母校は県内ではそれなりに名の通った進学校だったので僕は学内では浮いていただろう。いや、明らかに普通の生徒ではなかった。もう遊ぶことしか考えておらず、朝から晩まで、時には朝から朝まで遊んでいた。本当に子供だった。(ちなみに断っておくと反省はしていない。高校までは思いっきり遊ぶと決めていたし、これがきっかけで後々に勉強が大好きになっていったからだ。)

そんな自由奔放な生徒だったので当然ながら高校時代にボランティアをしようなどとは一瞬たりとも考えた事はなかった。明日のことすら見えていないその場の感情に流されて生きていた。

隆君と話しているとそんな自分の記憶が脳裏に蘇り、とても恥ずかしくなった。僕と彼の高校時代とではまさに雲泥の差だ。同じ高校生でもこんなにも差があるのだと思い知らされたのだった。僕の二十歳頃と比べても彼はずっと大人だ。いや、そこら辺の大人よりも彼は既にずっと大人だ。

芯が強く、コミュニケーション能力が高く、相手の気持ちに寄り添うことができる。そして相手を傷つけない。もう彼と話していて自分の小ささが身に染みていた。

彼の将来が本当に楽しみでならない。ぜひ今後も応援していきたいと思う。

隆君、ファイト!

理不尽な中でも優しさと冒険心を忘れない旅人の人となり

休憩中にもう一人じっくり話すことができた。彼の名はトッシー。年齢は30代半ば。彼は午前中の物資の整理作業でリーダー的存在で皆を引っ張っていた。強いリーダーというタイプではなく、皆の意見や反応に注意を配りながら輪を大事に引っ張っていく優しいリーダータイプだ。

彼は旅が好きで仕事が忙しくない時期にはよく旅をしていたらしい。逆に仕事が忙しい時期は一生懸命働いていたそうだ。ボランティアでの彼の働きぶりを見れば、職場でも一生懸命だったのは容易に想像がつく。

しかし詳細は書けないが、理不尽なことに彼は旅ができなくなったそうだ。そして人間関係に悩んでいたところだった。そして現在は色々と覚悟を決めて旅に出てきたのだとか。その旅の途中で熊本に寄りボランティアをしているそうだ。

彼とは年も近いからか、人生や仕事についても多く語り合った。彼には正しいと思ったことを貫く信念があり、人を思いやる優しさがあり、定期的に旅をする冒険心があった。だから彼と話すと多くの人が和み楽しんでいるのも納得した。

炊き出しの休憩中にトッシーさんと語り合う

それに彼は謙虚だった。彼はボランティアとして既に2週間ここにいるため僕らより経験があるのだが全く威張ることなく、周囲と強調し、伝えるところはしっかり伝え、新人だろうが周囲の声を聞くことも忘れていなかった。

あれは仕事の話をしていた時だろうか、そんな人として魅力溢れるトッシーさんから「あきらさんみたいな優しい人が上に立つべきです(文言ははっきり覚えていないがそのような言葉だったと思う)」と言われた時には正直驚いた。もちろん嬉しくもあった。

僕は物事を俯瞰して分析する癖があるのだが、午前中の作業でもそれをしていた。効率よく作業を行うためにはどうしたら良いか常に考えて動いていた。

読者の皆さんは「料理の鉄人」という番組に和の鉄人として腕を振るっていた、日本料理界の巨匠、道場六三郎を覚えているだろうか。

挑戦者や他の鉄人たちが開始の合図と共にすぐに調理にかかる中、道場六三郎だけはまず献立から考えるのである。材料や制限時間、季節、食べる人のことを考え献立を決めるのだ。そして仕上げに筆を持ち和紙のような筆の生きる紙にしっかり献立を書き込む。頭で覚えるだけではない、書くのだ。この工程にしっかりと時間をかけるのが道場流だ。

巨匠ほどではないが、僕もそういったところがある。

だから僕は作業をしている最中も常に効率と二度手間を防ぐこと、そして排出されるゴミなどの再利用など色々考えて動いていた。効率と聞くと拒否反応を示す人もいると思うが、効率よく動くことで作業工程が簡略化・短縮化され作業する人の負担が減るのだ。

特にこういったマニュアルのない大掛かりな作業ほど思いついた通りにやっていたのでは二度手間三度手間が発生し、作業する人たちの負担は増すばかりとなる。全体のことを考えると効率化は必然だと僕は思っていた。実際に現場では二度手間三度手間が既に発生していた。

だから尚更しっかり考えなければいけなかったのだ。しかし限られた時間の中だったので誰もが目の前の作業で一生懸命だったし、まだ慣れない人間関係の中動いていたので意見を収集したり取捨選択したりする余裕がなかった。

僕は元来の俯瞰癖でそのことに気付けていたので、僕の役割は効率化を見つけ出すことだと思い動きながら考えた。そして思いついた案をリーダーであるトッシーさんに伝えていたのだ。

すると彼は嫌な顔一つせず僕の意見に耳を傾け、いくつか僕の案を採用してくれたのだ。そういったやり取りを繰り返していると信頼してくれたのか、後半ではそばで一緒に作業することも増え、逆にリーダーから相談されるまでの仲になりいつしか信頼関係が構築されていった。

そんな彼から「優しい」とか「上に立つべき」とか言われたことがとても嬉しかった。「見てくれている人は見てくれているんだ!」と幸せな気持ちになった。

今後もお互い逆境に立たされることもあるだろうが、負けずに歩みを進めてほしいと思う。とても応援したい人がまた一人増えたつかの間の休憩だった。

負けるな、トッシーさん!

コメント

  1. 浦邊隆 より:

    日本縦断中のボランティア活動、お疲れ様でした!
    お二人と一緒に活動できて本当に嬉しかったです(^^)
    また、こんなに良く書いていただいて(>_<)そのお言葉に相応しい人間になれる様、身が引き締まる思いでいっぱいです!ありがとうございます(^人^)
    またお会いできる日を楽しみにしています‼︎*\(^o^)/*

    • あきら より:

      僕らよりも隆さんの方が再びボランティアお疲れ様です!(^^)うちの奥さんも「おもしろいくらい好青年だったね!(^-^)」と喜んでいました♪

      既に相応しい人間だと思いますよ!僕は人を見る目だけは良いので(^-^)そしてこのまま歳を重ねれば、更に優しさと深みが増すでしょうね☆

      いつでも応援してます!(^-^)

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