吐露

吐露

旅の在り方が変わった

ここ油谷青少年自然の家に着いて、旅の在り方をじっくり考えた。

本当はまた2~3日で出発する予定だった。

でも思い切って気が済むまで滞在することにした。

疲れたというのも少しはあるが、それよりも最近は何だか苦しい旅ばかりで充実しなくなってきていた。その苦しさにも慣れてしまい、正直このまま宗谷岬まで歩き通せる自信はあるが、そうと分かるとただ歩くだけでは面白みに欠ける気がしていた。

だったらこの徒歩日本縦断の旅を思いついた時のあの“ノリ”を再び大事にしようと思い、また出発したくなったらしようということになった。

徒歩で日本縦断するキッカケ

「風の吹くまま気の向くまま」である。山下清状態である。実はあれが僕にとっての究極の旅の形なのかもしれない。

滞在している間にブログも書いて時差を無くしてから新たな気持ちで再出発した方が気が楽だ。これまでブログが溜まっていて何だか気が重かった。

足は止まっても、旅は止まっていない

ここ油谷青少年自然の家に一ヶ月半留まっているが、僕らの心境としては旅真っ最中である。日々色々な人と交流し、新しい文化や土地に触れている。歩いている時よりもその地をよく知ることができている。そのおかげで僕らは精神的な発見や得るものがとても多く、それが一番の旅の収穫だと感じている。

この後はどういう旅になるか分からないが、ここでの長期滞在は一生の思い出となることだろう。次の人生のスパイスになったことは間違いない。

ブログのための旅?旅のためのブログ?

僕らは今回の日本縦断で初めて旅人となった。サバイバル力は付いてきたとはいえ、まだ手探りなことが多い。旅の在り方の課題にはもう一つ、ブログの存在があった。旅とブログの関係だ。

当初は旅が終わった後に、思い出として振り返りやすいようにしたかった。だからかなり細かく書いてきた。しかし今冷静に考えてみると、振り返りたいよりも、ただ書きたいという部分が大きかったのかもしれない。

ここ油谷青少年自然の家に長期滞在して色々と夫婦で会議した結果、ブログは旅に支障がでない程度に書くことにした。ブログに囚われた旅に面白みを感じなくなってきた。もっと自由に、風の吹くまま気の向くままに旅をしたくなったのだ。

本当は思い出として細かく残したいという気持ちもあったが、それよりも“今”を楽しむ方がよっぽど大事だ。記憶には勝手に残るだろう。

旅は読書に似ている

これは以前紹介した読書仲間の彼が言っていた。

43日目前半:捨てる神あれば拾う神あり-2.心の友】

「読書はシャワーのように浴びて読む(=たくさん量を読む)方が良いと思う。大事なことは勝手に頭にこびりつくから。」

僕は一冊にじっくり時間をかけて、まさに研究しながら読む。知りたい欲求の指示に従い言われるがまま深く掘り下げ、幅を広げてゆく。そしてゆき過ぎてしまい、何が何だか分からなくなることが多い。それをまたまとめようと必死になる。それが僕の読書法の課題でもあった。

研究と読書を明確に分ける必要があったのだ。

この読書の癖が旅にも出てしまっていた。そして同じように自分を苦しめていた。

何だか旅も読書と同じような気がする。

旅の記録を深く(細かく)残す必要はない。ただ旅を楽しめば良いのだ。楽しい事、辛い事、嬉しい事、何でも大事な場面は記憶に残るものだ。残らなかったとしても、旅を楽しむ代償にするのには勿体ない。

旅のためのブログであって、ブログのための旅ではないのだから。

吐露

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