徒歩日本縦断で一番怖いもの
深い出会いの余韻に浸りつつ、本日の寝床「道の駅阿久根」を目指し歩を速める。
日本縦断を徒歩でしていて最も怖いのがトンネルだ。トンネルは真っ暗な上に歩道がない確率が高い。あったとしても幅が狭い。加えて車は信号がないので結構な速度で走り抜ける。
今日もトンネルがいくつかある。仕方ない。人間の都合で山を切り分け穴をあけ便利にし、それを僕らも享受しているのだ。
今日のトンネルは幸い歩道があった。しかし痩せすぎたモデルのように細かった。チャイルドトレーラーの幅とほぼピッタリ。
なんとか脱輪せずに通り抜けることはできたが、猛スピードですぐ横を通り過ぎる車はかなり怖かった。
だが、このあともっと怖いトンネルが立ちふさがったのである。
先ほどのトンネルは細くても歩道があったし、道も真っすぐで脱輪だけを注意すればよかった。しかし次のトンネルは歩道も無く道も大きくカーブしている。車はほんの数メートル手前でやっと姿が見えるくらいカーブがきつい。もちろん歩道がないので普段人はほぼ通らないのだろう、車は猛スピードである。
妻は恐怖で顔が強張っている。ここもなんとか無事通り抜けることができたが、一安心する暇もなく、トンネルを抜けるとまた歩道のない橋が現れた。一難去ってまた一難。これが日本縦断の旅と言ってもいい。
橋を過ぎてもしばらく歩道がない。この辺の道は歩く人がほぼいないのだろうか。でも途中バス停を見かけた気がした。
なんとか事故に合わずに進んでいると前方に車が停車。ドアを開けこちらに走ってくる一人の男性がいる。手にはスポーツドリンク。それが差入れだということはもう経験上すぐに分かった。
日本縦断の参考にしたブログ
ここで少し話は反れるが、日本縦断の旅に出るに当たりそれなりの準備をした。しかし当初は準備をするといっても何が必要なのか全くわからなかった。
回りに日本縦断をした人がいるわけでもないし、旅人がいるわけでもない。だから僕らは日本一周や日本縦断をした先人たちのブログや本を参考に準備をした。
その中でも特に参考にしたのが「べーすけ」という方のブログだ。この方は歩いて日本一周をした方である。装備品に関しても詳しく書かれておりとても参考になった。何度も読んでいたのでこのブログだけは記憶していた。
徒歩で日本一周をした先人
そう、察しが良い方は正解である。先ほど前方からドリンクをもって走ってきたのはその「べーすけ」さんだったのである。
開口一番名前を名乗ってきたので、すぐに「あのブログの人だ!」とピンときた。先ほどの歩道のないトンネルで見かけたので、差入れを買って引き返してきてくれたのだそうだ。なんて嬉しい。
べーすけさんは勤めていた会社を辞め3年間かけて“歩いて”日本一周をした強者である。僕らとはレベルが違う。日本一周している弟子もいるそうだ。
そんな自分が参考にしていた人が、旅人界では有名な人が、まさか目の前に現れるとは思ってもおらずかなり驚いた。鹿児島にいるのも偶然だし、この道をこの時間通るのも偶然だ。これもまたご縁なのだろう。
べーすけさんは人当たりもよく、気さくではきはきした印象だ。現在は旅の途中に鹿児島で知り合った方と何かお店をされているそうだ。旅のご縁で新たな人生を歩んでいるようで、どこか羨ましかった。
寄せ書きと写真撮影をお願いし、再び先を急いだ。
80歳の固い握手
近道をするため3号線を離れ、西方(にしかた)という町の海沿いを歩いていると中年の男性が声をかけてきてくれる。声援だけでなく、寝床やごはんの心配をしてくれる。途中で80歳になるおばあさんも加わり道の案内をしてくれた。この先はトレーラーを押していくのは難しいとのことで、道の広い3号線に戻った方が良いとのこと。おばあさんが3号線まで案内を買って出た。
3号線に出ると最後に握手をお願いされる。控えめで大人しそうな方だったが、別れ際に名古屋で働いていたという話が出て、僕たちも2年半前までずっと名古屋にいたと言うと、当時の話をほんの少し聞かせてくれた。
握手は固いものだった。僕らからパワーをもらおうという気持ちが伝わってきた。何もすることはできないが、おばあさんの記憶の中でまたエネルギーに変えてほしいと願い僕らもしっかり握った。
僕たちが宗谷岬まで完歩することでおばあさんの良い思い出にもなろう。
道の駅阿久根に到着
色々あった濃い一日だったが、日が暮れる前にどうにか本日の目的地、道の駅阿久根に到着した。到着するまでは、道の駅なので飲食店や何か食材は買えるだろうと特に不安に思っていなかったが、時すでに遅し、飲食店は終っていた。辛うじて食材が購入できるコーナーだけが閉店準備をしていた。慌てて駆け込んで食材を探す。
だがここは道の駅。街のスーパーではない。当然食材はない。観光客向けのお土産がほとんどである。仕方なく水とパンと観光土産のかまぼこ、インスタントラーメンを購入した。お店の人に聞いても歩いて行ける範囲にスーパーはなく、飲食店も数キロ先で今の時間はやっているか分からないとのこと。
今日はもう仕方がない。ここで調達した分と持っている分でなんとか過ごそうということになった。
わずかだが食料も手に入りやっと一安心である。疲れたのでテントを張る前に妻と夕日を見ながら一息つく。
阿久根の夕日を撮る好青年
道の駅阿久根は夕日のスポットらしく、夕日を眺める人や写真撮影をしている人がちらほらいる。僕らも一眼レフカメラで撮影を始めるカメラの調子が悪いではないか。何度やってもピントが合わない。
そこで夕日を撮影し終わった一眼レフのようなカメラをもった若い男性に助けを求める。さきほどまで一生懸命、夕日が沈むシャッターチャンスを伺っていた男性だ。いかにも一眼レフに詳しそう。
話しかけると腰が低くとても丁寧に教えてくれた。(実際は故障ではなく知らないうちに僕が何か操作をしていたらしい。)
カメラも直りいつも通り徒歩で日本縦断中で、沖縄からここまで歩いてきたと話すと予想以上の驚きよう。
「これテレビかなんかですか?」と辺りを見回す。当然そこにカメラはない。「え!?ガチですか!?ガチでやってるんですか!?」と目を見開き驚きを隠せない。
寄せ書きと記念撮影をお願いすると快く引き受けてくれた。
話していてともて良い方だった。仕事の都合でもうすぐ沖縄に転勤になるかもしれないと言うではないか。ぜひ沖縄で再会したい。(お兄さん、もしこの日記を読んでいたら連絡ください!)
初の野宿料理
優しいお兄さんにお礼を言って別れ、日も暮れてきたのでそろそろ夕食を食べてテントを張ることにした。
野宿料理といっても食材が手に入らなかったので調理はできない。持っていたカップラーメンと先ほどお土産コーナーで買ったインスタントラーメンである。しかしこの旅で初のバーナー(ガスコンロ)を使用するのである。キャンプ経験のない僕ら夫婦にとっては初めてのことなので少し緊張しながら火を付ける。へっぴり腰とはまさにこの事だ。料理だけは事前に練習していなかったのでこれが正真正銘初のバーナーの使用である。
テントを張るのはもう慣れてきたのですぐに張れた。
このあと寝る準備をして眠りにつくのだが結局眠れなかった。国道沿いなため夜中でおトラックや車の通りが激しく、また反対側は荒れた波がテトラポットに激しく当たりかなりうるさかったのだ。風の音も強い。あげくのはてに虫がテントの生地の外側を何匹もガサガサと這うのである。
これがその虫
結局今回の野宿も1~2時間ほどしか眠れなかった。まだまだ修行が足りないのだろう。早く野宿にも慣れなければいけない。
本日の歩行データ
宿泊場所 | 道の駅阿久根(野宿) |
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歩行距離 | 24.66km |
歩数 | 34,876歩 |
疲労度 | 7/10 |
コメント
先にお兄さんが沖縄に来るならまかせとけ!
良かったな、メガネ友ができるな!お前も好きなタイプだはずよ!お接待宜しくお願いしますm(_ _)m
7月3日の日曜日、福岡の春日大通りでお二人を御見かけして、
ものすごく気になってネットで検索してこのブログ発見いたしました。
お声かけさせていただきたかったのですが、その時こちらは車で
更に先の予定のために時間がなく、泣く泣く通り過ぎました(泣)
以前原付で日本一周をしている大学生にも偶然出会ったりして、
その人が完走した時とても感動したのを覚えています。
お声はかけれませんでしたが、勝手に応援させていただきます。
偶然の出会いに乾杯ー☆
有難うございます!そしてわざわざ検索して頂いて嬉しいです!
昨日は豪雨になったり小雨になったり陽が差したりで、暑くて汗も乾かずとてもぐったり歩いていました(^^;
7日までは休養&装備を整えるため天神に滞在していますが、7日以降はこのまままた3号線を上っていくのでまた見かけた際は是非お声かけ下さい(^-^)
偶然の出会いに感謝&乾杯ー☆