139日目:日本縦断徒歩ダー&フランス人チャリダーと出逢う

日本縦断徒歩ダー 歩記

日本縦断139日目(2016年10月21日)

日本一周チャリダーと思いで歩き

いつも通り早朝5時過ぎに目覚めた。昨夜は風が強すぎたのでチャリダーYさんも一緒に道の駅の裏で寝た。こうして旅人と隣同士で寝るのは初めてだ。良い思い出になった。

この裏で野宿
道の駅若狭おばまでチャリダーと野宿

野宿場所
道の駅若狭おばまでチャリダーと野宿

お互い準備ができたので出発することに。すると途中まで道が同じなのでYさんが一緒に歩いてくれると言う。ほんのわずかだが、旅人と一緒に歩けるのは嬉しい。これもまた良い思い出となった。

日本一周チャリダーと記念撮影

日本一周チャリダーと歩く

日本一周チャリダーと歩く

実はYさんは仕事を辞めて旅立とうとしたが、会社から仕事を減らしてでも続けるようにと引き止められたらしい。なので週末には仕事をしながら旅をしているのだとか。Yさんと話していると引き止められる理由が何となく分かる気がした。

いつまでも話しは尽きないが、そろそろお別れの時間である。互いの健闘を祈り、別れを告げる。

Yさんは自転車にまたがると、日本一周で鍛えあがったその太い脚でペダルをこぎ始めた。

チャリダーとの別れ

手を振るチャリダー

ああ、なんだか名残惜しい。

それにしても自転車はやはり早い。もうあんな遠くまで行ってしまった。Yさんのたくましいその背中はどんどんちいさくなってゆく。

やはり自転車は速い

初、徒歩ダーとの出逢い

チャリダーと別れてしばらくすると、歩道の無い道の反対側を一人の青年が僕らとは逆方向に歩いてきた。

服装や荷物からして僕らと同じ臭いがした。なんとこの旅初の徒歩ダーに出逢ったのだ!

これまでの旅路では徒歩ダーに出逢ったことがなかったのでとても興奮した。僕らは互いに徒歩ダーだと分かるとすぐに歩み寄った。

日本縦断徒歩ダーと出会う

そして互いに旅の情報を交換する。出るわ出るわ、濃い旅の話。同じ徒歩ダーなので共感できる事が多い。

話を聞いてみるとこの徒歩ダーNさんは僕らよりも旅人感が出ており、人との交流も僕らの何倍もある。既に色々な野生動物とも遭遇したらしい。話を聞けば聞くほど面白く羨ましい。

旅の情報を交換

しかもNさんは最長1日に70㎞以上も歩く強者である。僕らは40㎞超えようものなら瀕死だ。だが、Nさんに出逢えたおかげで自分たちの能力を過小評価していたことに気付けた。感謝。

Nさんは起業する前に歩いて日本縦断をしているという若者だった。型にはまらなさそうな印象で将来が楽しみだ。

日本縦断徒歩ダーと出会う

日本縦断徒歩ダーと記念撮影

フランス人チャリダー現る

Nさんと話が盛り上がっていると、髭を蓄えたチャリダーが現れた。見るからに外国人である。

フランス人チャリダー登場

つたない英語で会話を試みる。彼はフランスから一人で来たらしい。これから京都(記憶が定かではない)まで自転車で行くらしい。僕らからしたら異国で一人旅など想像もつかない。

そして僕が「沖縄にも旅しにおいでよ」と言うと、きっぱり断ってきた。

男性は「沖縄は米軍の飛行機がうるさい。アメリカ人がいっぱいいるから行かない。アメリカ人は大嫌い。」と澄ました顔で言う。

フランス人はアメリカ人が嫌いだとはよく聞いていたが、初めてフランス人から直接聞いた。どうやらこの事は本当だったようだ。まさか日本縦断中に異国について触れることができようとは思ってもいなかった。旅は何が起こるか分からない。

フランス人チャリダーと交流

フランス人チャリダーと交流

最後に4人で記念撮影をして別れた。

徒歩ダーとチャリダーで記念撮影

徒歩ダーとチャリダーと別れる

ちなみにこのフランス人チャリダーはとてもワイルドだった。この後も偶然また再会したのだが、その時そこらへんに落ちている木の実を拾って食べていたのだ。

そして僕にも「ほら!美味しいから食べてみて!」と得体のしれない木の実をくれる。そんなことされたら断り辛いのが日本人というもの。僕は顔が引きつったまま勇気を出して食べた。が、案の定美味しくない。というより食べてはいけない味がした。

しかしこの男性は平気でパクパク食べている。

地震だ!

フランス人のチャリダーと別れてしばらく歩いていると、突然道が揺れた!

これは僕らが名古屋で味わった3.11の東日本大震災の揺れと同じくらいだった。

幸い僕らがいる場所は大きな被害はなかったが、どこかで大きな被害が出ているだろうことは容易に想像がついた。その後も僕らは不安な中、注意しながら歩き続けた。

道の駅が封鎖!?

そして今日は陽が沈む前に目的地の道の駅に到着することができた。

日本縦断139日目ゴール地点

足湯で疲れを癒そうと施設内に入ると、なんとまたもや休み。なんだか僕らの旅は湯にはツいてない旅のようだ。

仕方なく僕らは夕食を食べることにしたのだが時すでに遅し、足湯に気を取られている間に施設内の飲食店も終了し万事休す。

僕らは近くで食事ができそうな場所を探して歩いた。すると居酒屋のような飲食店を発見。まだ営業時間まで1時間もあるが、ダメもとでドアをノック。幸運にも中に入れてもらえた。食事もOKだという。

僕らが食事をしていると、テレビで先ほどの地震のニュースがやっている。やはり相当大きな地震だったようだ。鳥取で出会った皆さんの事が心配だ。

鳥取地震

食事を終えた僕らが再び寝床となる施設に戻ると、なんと入り口が閉じられようとしていた。これまで道の駅で門が閉められたことはなかったので驚いた。と同時に不安に陥った。

道の駅のはずが門が閉まる!?

とりあえず門を閉めようとしている職員さんに話を聞いてみる。

すると予想外の答えが返ってきた。

僕らはここはてっきり道の駅だと思っていたら、全く違い、ここは個人の運営する施設なんだとか。そういえば、ここに来るまで何人かにこの道の駅(実際は道の駅ではない)の事を話したが、誰も存在を知らなかった。道の駅でないなら当然知るはずもない。

さて今日は早めのゴールと安心しきっていたのに状況は一転大ピンチだ。もうすっかり陽は暮れた。この先寝床となりそうな場所はない。先ほどの飲食店に戻って周辺でテントを張らせてもらえる所はないか聞いてみるも、期待は薄そうだった。

これはもう一度施設の方に泊めてもらえないかお願いするしかなかった。断られればもう夜通し歩いて明日の目的地である敦賀駅のホテルまで行こうということになった。断られる覚悟で施設の方にお願いすると社長さんに電話してくれた。

少し待つと、幸運にも許可が下りたのだ。日本縦断中ということで応援してもらえたようだ。社長さんには会うことはできなかったが、とても感謝している。具体的な場所はご迷惑がかかるといけないので伏せるとしよう。

いやー、今日も濃い一日だった。最近何だか旅感が濃くなってきた気がする。一日に色々な事が詰まっている。

嬉しい反面、気持ちも休まらない。まあこれが旅というものなのだろう。

ここには書ききれないが、その他にも色々な人と出逢うことができた。今日も会えた人達に感謝して寝るとしよう。

敷地内の建物と建物の間にベンチをくっつけて寝る
野宿準備に取り掛かる

野宿準備完了

野宿の様子

コメント

  1. 濱中弥生 より:

    類は友を呼ぶ‼
    そんな1日だったのかな?
    自然と集まって情報交換したり、会話も楽しく弾んだことでしょうね🎵
    また、ひとつ大きな収穫のあった日でしたね✨
    鳥取の地震は久しく地震の無かったのでビックリ!
    震源地も近く怖かったわぁ😅
    ウチは一部損壊でもそんなに被害は無かったけど、実家は近くなんだけど「寝るのが怖い」としばらく避難所生活してました。
    今は…
    みんなが少しずつ復興に頑張ってますよ❗

    • あきら より:

      まさにそうですね!(^^)二日連続で旅人と交流できるとは思いませんでした!ちなみにこの翌日も徒歩ダーと交流することになります。またまた珍しい人でした(^^)

      地震大変でしたね!もてなして頂いたご自宅がまさか損壊とは・・・。あまりテレビでは報道されませんが、それほど被害は大きいのですね・・・。

      僕らの方は体調も徐々に回復し以前の生活に少しずつ戻していっています。仕事とブログの両立は大変ですが、こうして読んで頂いている濱中や皆さんのためにも旅の軌跡を残していきたいと思います。

      どんな言葉をおかけしたら良いか分かりませんが、「人間諦めなければどんな困難にも打ち勝てる」この旅で自分からそう教わりました。
      心より復興、願っております。

  2. 97 より:

    俺もちゃんと読んでるぜ!

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