17日目:熊本地震の影響とラスト5kmでの大ピンチ

熊本地震で倒壊した熊本大神宮 歩記

日本縦断17日目(2016年6月21日)

今日の旅路は40km

今日は熊本市にある崇城大学ボランティアビレッジに向かう。距離にして約40km。今日はもうフルマラソン並みだ。これを約40㎏の荷物を押しながら、そして7~8㎏の荷物を背負いながら歩く。山がない事を祈るばかりだ。

ボランティアビレッジでは数日間ボランティアをする予定だが、ボランティア未経験の僕たち夫婦にとっては勝手が全く分からなかった。しかしボランティアビレッジでは未経験者でも、何も道具などなくても仕事はあるとのことなので行くことにした。

どんな仕事(ボランティア)であれ、何か少しでも被災地の役に立てれば嬉しいし、対価としてボランティアの経験を積ませて頂けるのなら更に有り難い。

熊本地震の影響が垣間見える

熊本地震の中心部に近づくにつれ、被害の影響が徐々に露わになってきた。

ここは被害が少なかった場所なのだろう、「熊本地震 応急仮設住宅」と書かれた看板があった。敷地では黙々と大工さんが仮設住宅を造っていた。

熊本地震の応急仮設住宅建築中

熊本地震の応急仮設住宅建築中02

少し歩くと今度は屋根にブルーシートがかかった家がちらほら見えてきた。これは沖縄にいた頃にニュースでよく観た光景だ。

人が屋根を直しているような様子もうかがえた。

熊本地震の影響か!?

一枚の昆布とおにぎり

時計が12時を指そうとした頃、ちょうど手打ちうどんのお店が真横に現れた。

九州は手打ちそばや手打ちうどんがたくさんあった。しかし僕らはまだ一度も食べていない。時間もタイミングもちょうど良かったのでここで少し休憩がてら昼食を頂くことにした。

ここは美味しい店なのか店内はお客で賑わっていた。

早速僕らも二人前を注文。

うどんを待っているとお客や従業員の視線がこちらを向いている。やはり旅人は目立つのだろう。しかしもう慣れっ子だ。自分たちから愛想良く話しかけることはしない。そんな元気はないのだ。

まだうどんは来ない。僕らの席の隣はうどんを打つスペースになっており、壁はガラス張りで中が丸見えだ。店主の男性が粉を生地に巻きながら丁寧にうどんを打っている。旨そうである。

やっと僕らのうどんが来た。味ものどごしも最高だ。客が多いのも納得だった。

これも拘っているからなのだろう。営業時間もかなり短い。自分のできる範囲で最高の物をという姿勢がうかがえた。

うどんを食べていると寡黙にうどんを打っていた店主が僕に話しかけてきた。他愛もないいつものやりとりだった。どうやら店主も四国のお遍路で多くの人に助けられたらしい。店主の顔からは先ほどの寡黙さは消え、口角が緩み額の汗と一緒に目も静かに輝いていた。

うどんを食べ終えた僕らは「美味しかったです」と声をかけ会計を済ませようとした。

すると店主が目立たないようおにぎりを渡してくれた。一枚の太くて大きな昆布がお米と海苔の間に挟まったコンビニなどでは決して買えない愛情のこもったおにぎりだった。

これも彼がお遍路で助けられた恩返しなのだろう。僕らはこの“恩返し”を次の人へと繋げよう。

宇城市松橋駅近くの純手打ちうどんかなたけ

宇城市松橋駅近くの純手打ちうどんかなたけ02

うどんのかなたけでもらったおにぎり

連日の豪雨の影響が残る旅路

旨いうどんと店主の優しさに触れた僕ら再び元気を取り戻し旅を再開した。

歩き始めてすぐ、至る所で水没していた。連日の豪雨で畑や農道は水没し通行止めになっていた。

水没して通行できなくなった道
熊本県宇城市水没の様子

熊本県宇城市水没の様子02

一面水没した田んぼ
熊本県宇城市の田んぼが水没の様子

亀も川から流されてきた?
畑に亀が流れ着いた

水没していないとこんな感じ
水没から回復した道

写真のように連日の豪雨で街は酷いことになっていたのだが、こんな中を僕たち夫婦は歩いていたのかと思うと恐ろしい。近くでは死者もでている今回の豪雨。死なぬが仏では済まされない。それ以来僕らは常に天気予報には細心の注意を払うことに決めた。徒歩では逃げたくてもすぐには逃げられない。

さらに被害の大きかった宇土市へ

うどん屋があった宇城(うき)市を抜け宇土(うと)市に入った頃から熊本地震の被害が大きくなっていった。宇城市まではぽつぽつと見えていたブルーシートの屋根が、宇土市では至る所で見られるようになってきた。

今日歩いている県道14号線も大渋滞である。あとで地元の人に聞いた話では、多くの道が地震の影響で通れなくなり、皆通行できる県道や国道に流れ込んでいるのだとか。

宇土市では歩道にも地震で被害を受けた家の物か、ガラスなどの破片が散乱していた。ここからは何か異様な空気を感じた。重くてどこか暗い空気だ。

熊本地震による熊本県宇城市の被害の様子

熊本地震による影響で屋根にブルーシートを被せている家

至る所にブルーシートを被せた家がある

至る所にブルーシートを被せた家がある02

住宅街に入ると玄関に赤や黄色の紙が貼られている家々があった。

応急危険度判定というやつである。最も危険度の高い赤い紙が貼られた家屋もいくつかあった。

応急危険度判定の赤い紙(危険)が貼られた家

応急危険度判定の赤い紙(危険)

赤い紙はもう本来の真っ赤な色が長い時間陽に照らされて薄くなっていた。今日は6月21日、熊本地震から既に一か月以上が経過している。それでも何も手つかずの家屋があちらこちらにある。

日常生活における科学の進歩は目覚ましいのに、なぜ災害に関してはこうも進歩が遅いのか。改めて考えさせられる。

地震と豪雨の二重災害

さらに被災地を先に進むと今度はお店が浸水被害にあっていた。皆さん営業どころではなく、濡れた商品を外に出したり、汚れた商品を拭いたり、店内の水を掻き出していた。二重災害である。

浸水被害にあったお店

浸水被害にあったお店02

さらに進むと今度は地震で投下した建物のものだろうか、廃材らしきものが山のように積まれていた。瓦も地震で落ちた物だろう、片隅に集めて積まれていた。

無造作に積み上げられた廃材らしきもの

地震で落ちたと思われる瓦

テレビでしか見たことのなかった光景に僕ら夫婦は言葉が出なくなっていた。

熊本市内の被害状況はさらに深刻だった

熊本市内に入ると被害は一層酷くなっていった。建物の壁が剥がれ落ちたり、窓ガラスが割れ落ちたり、酷い場合は建物の骨組み部分が折れて中の鉄筋がむき出しになっていた。

歩道は至る所で通れなくなっており、倒壊の恐れのある建物は順に崩されていた。そんな状況なので多くの店舗が休業を余儀なくされていた。

平日にもかかわらず人気のない窓ガラスが割れたコカ・コーラWEST
人気のない窓ガラスが割れたコカ・コーラWEST

店舗倒壊の恐れで通行止めとなった歩道
店舗倒壊の恐れで通行止めとなった歩道

店舗倒壊の恐れで通行止めとなった歩道02

被害の大きかったと思われる建物を解体中
被害の大きかったと思われる建物を解体中

外壁が剥がれ落ち鉄筋が見えているマンション
外壁が剥がれ落ち鉄筋が見えているマンション

このマンションは柱部分が今にも折れそうな状態で、もうすでに誰も住んでいなかった。
柱部分が折れる寸前

比較的新しいマンションにみえたが、玄関のタイルがめちゃくちゃになっていた。
玄関の階段がぐちゃぐちゃに壊れたマンション

ある会社は建物すべてを「立ち入り禁止」のテープで囲まれ、会社の人は誰一人いなかった。
会社の周囲を囲む立ち入り禁止のテープ

外壁が剥がれ落ち誰もいない会社

歩道が通れないところが多く、道を左へ渡り右へ渡りしながらなんとか無事市役所付近まで来ることができた。市役所周辺は人も多く、談笑しながら歩く若者や会社帰りで疲れた人など日常と変わらない様子に思えた。

しかしここも被害の大きかった場所だ。

5分も歩くとその被害の大きさを目の当たりにすることができた。僕らの目の前に現れたのは無残にも石垣が崩れた熊本城だった。

もう少しで上の建物部分も倒壊する状況だった。あんな重い岩々がまるで石ころのように転げ落ちていた。

地震で石垣が崩れた熊本城
地震で石垣が崩れた熊本城

本来あるはずのお城の白い壁が倒れていた
本来あるはずのお城の白い壁が倒れていた

その他の熊本城の石垣が崩れた部分
その他の熊本城の石垣が崩れた部分

その他の熊本城の石垣が崩れた部分02

先を進むとさらに大きな被害を受けた熊本大神宮が見えてきた。本来なら頭上にあるはずの屋根が地面にあったのには衝撃を受けた。

屋根が地面に落ちた熊本大神宮

完全に倒壊した熊本大神宮

もともと熊本大神宮があった場所

横から見た倒壊した熊本大神宮

ここまでの距離35kmだが、疲れたなどとは言ってられない。今も食事や寝る場所に困っている人たちが、この表面上は日常生活を取り戻したかのような街の裏側にいるのだ。明日からは少しでも復興に役に立てるよう夫婦で頑張っていきたいと思った。

そろそろ陽も暮れ始めたので残り5kmの道のりを急ぐことにした。

旅の試練は究極のタイミングでやってくる

先を急ごうと歩き始めた途端、妻が「待って!」と叫ぶ。続けて「タイヤがパンクしている」と言った。

ゴール目前でのパンクは想定外だった。しかもこれまでパンク修理をやったこともなければ見たこともない。出発前にやろうとは思っていたが、他の準備が忙しくできなかった。

パンク修理の自信がなかった僕らは近くの自転車屋を頼ることにした。しかし時刻は19時20分、どこも閉店していた。それに荷物は40㎏近くある。これを人の手で数km運ぶのは厳しい。それに僕らは既に35km歩いてきて体力的には限界に近い。

そこへ地元の方に助けを求めると色々自転車屋を教えてくれるが、やはりどこも閉まっていた。タクシーに乗せようにもこれだけの荷物とこの大きなチャイルドトレーラーは乗らないだろう。

最終的にこの地元の方の案で、ボランティア施設(事前に目的地がボランティアビレッジだと伝えていた)ならトラックがあるはずなのでそれで迎えに来てもらおうということになった。

その後、無事ボランティアビレッジの方に迎えに来てもらうことができなんとかその日は助かった。

実はこのパンク、チューブのパンクではなくガラス片がタイヤを貫通しチューブを破いていたのだ。自分での修理は不可能なほど大きな穴が開いていた。おそらく被災地を通ってきたので、その時にガラス片を踏んで刺さったのだろう。自力で修理しようとしていたら何時間たってもできず、夜中になってそのまま町中に野宿になっていたかもしれない。

結局、後日自転車屋にもっていったらもうこのタイヤは使えないと言われ、タイヤごと交換することになった。

それにしても旅の神様は、試練を乗り越えられるか否かの究極のタイミングで与えるものだ。これがあと30分、いや15分早ければ近くの自転車屋は空いていただろうに。

パンクした際の様子
旅の荷物とチャイルドトレーラー

旅の荷物とチャイルドトレーラー02

パンクしたチャイルドトレーラーのタイヤ

本日の歩行データ

崇城大学ボランティアビレッジに到着してからはすぐにテントを張り、近くのコンビニ(徒歩約10分)で食事を買って雨の中食べた。

今日はくたくただが、明日からはいよいよボランティア活動である。

宿泊場所崇城大学ボランティアビレッジ
歩行距離38.23km
歩数55,168歩
17日目の歩数
疲労度10/10

コメント

  1. 97 より:

    ポケモンやってみて笑

    • あきら より:

      流行りには乗らん!(笑)ってかスマホ全く空き容量ないし。今後は野宿多いからバッテリーも命!

  2. 萩姉 より:

    今、油谷に向かってまーす。

    • あきら より:

      そろそろ着いたかな~?来てくれたおかげで久々に飲食店にも行けたので良かった!栄養満点!火の粉に感謝!(笑)

  3. あたぼっぎぶ より:

    試練だらけですなぁ〜
    でもあきら夫婦を応援してる人はいっぱいいるぞ!
    目に見える形ですぐ応援にいくことはむずいけども、応援しとるぞ!

    • あきら より:

      試練の嵐だけど、不思議な事に究極の所で必ず助けてくれる人が現れるんだよね~(^-^)今もその助けのおかげで油谷青少年自然の家という極楽にいまーす(^-^)無人島で鯛釣って食った!(>O <)いつも応援蟻が10,000匹!!

  4. よっしー38 より:

    旅の無事を沖縄より祈ってます。
    沖縄へ戻られたらお会いしたいです。

    • あきら より:

      有難うございます。北海道には冬にたどり着きそうですが、こちらで-50℃の中旅した旅人と出会ったのでコツを教わって何とか生きて沖縄に帰ってきます。

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