4日目後半:旅は縁の点と点が結びついたもの

歩記

備えが仇となる

祖母がいるのは本部港から7km以上離れた場所。

当初はこの辺で宿泊施設に泊まって荷物を預け、レンタル自転車か車で向かう予定だったが自転車は7kmもの遠出は断られ、レンタカーは空いてる車がなかった。最終手段のバスもレンタカー会社を出た瞬間、目の前を通り過ぎた。バスが来るのはもう1時間後である。

そしてこの大きな荷物たちを預けるにもコインロッカーはこの辺にはないとのこと。どこにもあ受けられない。

さあ、決断の時だった。

祖母に会いに決死の14km!

時刻は16時過ぎだが、今からまた往復14kmの道のりをこの重い荷物を押しながら行くしかない。「これもまた旅」と覚悟を決めて再び重い荷物とともに14kmの旅に出る。

途中、面白い看板を見つけたり、ヤギの集団に会ったり、きつい橋を渡ったり、綺麗な伊江島を眺めたり、かと思えば30分ほど山を登ったりしながらようやく祖母のいる施設に到着。

わき見運転注意の看板がおもしろい
おもしろい看板本部町は美人が多い

本部大橋から見えた伊江島
本部大橋から見える伊江島

本部大橋
本部大橋

途中で声をかけてきてくれた子ヤギさん。大人のヤギは奥の小屋の中にたくさんいた。
本部町でヤギと出会う

おばあちゃん孝行できた喜び

沖縄を離れる前に祖母には会っておきたかった。祖母には小さい頃ともてお世話になっていたが、大人になって感謝を伝える前に痴呆が始まってしまいもう僕のことは誰だか認識できていない。

それでも感謝の気持ちを込めて「日本縦断、行ってきます!」と言いたかった。僕は寝相が悪いため、幼い頃から祖母と寝るのを拒んでいた。僕の寝相は特殊で無意識ではあるが、若干の攻撃性がある。殴る蹴るとかではないが、とにかく特殊で祖母も何度か寝ている時に被害にあっている。

あくまでも寝相が悪いためで、決して一緒に寝たくないわけではなかった。でも直接は言われていないが祖母はそのせいで僕に嫌われている、あるいは避けられていると感じていたようだ。

それを払拭するためというわけではないが、感謝と愛情を込めて会いにきた。

祖母に食事の介護
祖母に食事の介護

祖母と談笑する風景
祖母と談笑

「これで心残りもなく、すっきり本土に乗り込める!」と、また来た道を戻る。

約20年ぶりの再会

来た時はまだはっきり見えた伊江島も、ぼんやり見えるくらいに日は落ちていた。「さあ、あと7km歩けば眠りにつける」と妻と励まし合いながら重い荷物と脚を動かす。

帰り道、叔父叔母宅が近かったので寄ることにした。ずっと寄るか寄らないか迷っていたが、法事以外ではもう20年近くゆっくりと会っていなかったので、日本縦断の知らせも兼ねて会いに行くことにした。

叔父叔母の家に着くと、20年のブランクを感じさせないウェルカムムード。二人のトークも相変わらず心地良い。

叔母さんは釣りの師匠

叔母さんは僕の釣りの師匠で、幼い頃、僕は叔母さんと釣りがしたくて本部に来ていたと言っても過言ではない。

僕が那覇(自宅)にいる時もたまに電話をくれて、「今ミジュンが釣れてるよ」「この前はダツが釣れたよ」「今はグルクマーの時期だよ、今度行こうねー」と知らせてくれていたが、その話を聞くだけで心が躍っていたのを今でもはっきり覚えている。

叔母さんだが、僕にとっての父親でもあったのは間違いない。叔母さんとの思い出は今でも大切にしている。

昔も今も感謝でいっぱいだ。

叔父さんはベテランのホテルマン

叔父さんはというと、素敵な笑顔が特徴でいつもニコニコしている印象がある。叔父さんは昔から本部でホテルマンとして働いていて、一緒に釣りに行くことはほとんどできなかったが、夕方になると仕事を終えて祖母の家に寄り、僕に釣果を聞いてきたりしてくれた。いつも優しい口調で誰にでも好印象を与える人だ。

さて、本日のキーマンはこの叔父さんである。

散らばっていた縁の点と点が結びつき始めた

叔父さんに今日の宿泊先を尋ねられる。

もちろん野宿と答える。

叔父さんはホテルマンで今でも現役なのだが、叔父さんのホテルは僕たちが宿泊できるような安いホテルではない。高級なホテルだからというわけではないが、当初から泊まる予定はしていなかった。

案の定、うちのホテルに泊まるよう提案してくれる。

しかしそんな良いホテルに泊まる金銭的余裕はないし、何より地元の沖縄で野宿を経験しておきたかったということもあり、野宿するから大丈夫だと伝えた。

叔父さんは少し残念そうな様子。

僕らからするとそんな高級なホテルには泊まれないし、泊まるとなると叔父さんが費用を負担するという流れは容易に想像ができる。そんな負担はかけたくない。何せ小さい頃から世話にはなれど、恩返しなどというものは一度たりともできていないからだ。せめてもの恩返しと思い、今回顔を見せに来たのだ。

恩返しのつもりが、またお世話になってしまってはこちらが心苦しい。

そんな葛藤をしながら叔父さんたちとの会話を楽しんでいると、昨日の宿泊先の話になった。

昨日のホテルは「名護にあるセンチュリオンホテルリゾートっていうオープンしたばかりのホテルだよ」と答えると、

「へ!?」

と叔父さんの表情が一変する。

そこはなんと叔父さんのホテルの系列だったのだ。

フロントの人の名前を覚えていたので「○○さんという人がフロントにいたよ」と言うと、「あー!そうそう!彼もつい最近まで同じ本部の方のセンチュリオンにいたんだよ!」とやはり同じ系列のようだ。

僕は引き寄せられるようにして名護のセンチュリオンホテルに泊まり、引き寄せられるように叔父さんと叔母さんに会いに来たのだ。

もし祖母に会いに行かなかったら、もしバスで移動していたら、もしもう少し日が暮れていたらおそらく叔父さん叔母さん宅には寄ることができなかっただろう。

そして昨日のホテル選びから今日まで何か一つでも違う選択をしていたら、こんな不思議な縁で繋がることはなかっただろう。

不思議な体験に少し衝撃だったが、「これは何かの縁だ。大切にしよう。」と思い、思い切って叔父さんの言葉に甘えてセンチュリオンホテルリゾートに泊まらせてもらうことにした。

センチュリオンホテルリゾートは美ら海水族館のそばにあるリゾートホテルである。もう外観からして僕らが泊まれるようなレベルのホテルではない。日本縦断の旅から帰ってきたら、叔父さんが働いているうちに今度はちゃんと自腹で泊まりに来たい。

センチュリオンホテルリゾートのホームページ

旅は縁の点と点が結びついたものだと感じた不思議な濃い、濃い一日だった。

宿泊
センチュリオンホテルリゾート沖縄美ら海

本日の歩行距離
27.78km

歩数
33,171歩

疲れ度
重度

4日目の歩数

コメント

  1. F君 より:

    あきら、まだ沖縄にいたんだな。
    今日は開南小学校でフットサルだったから声かければよかったなぁ。

    水曜日はまだ沖縄にいる?

  2. あたぼっぎぶ より:

    あきらが無事に縦断終わって帰ってきたら、生徒に話聞かせたい!!
    てか、なにより自分が聞きたい!!

    そして、あきらがブログに書いてたように、この旅はあきらと奥さん、そして将来の子どもだけじゃなくて、周りにも確実にいい影響与える!!
    てか、与えられてる!!\(^o^)/

    では、今日も体調第一に、enjoyあるけあるけ〜( ᐛ )و

    • あきら より:

      俺は普通じゃないから進路指導とは真逆の事いうはずよ~(笑)生徒が道反れてもその後の責任はもてませ~ん(笑)
      俺もぶぎが音沙汰なくても今は静観しつついつも応援してるんだぜ!夢をあきらめるなよ!(^-^)今後とも応援よろしく!

  3. まさと より:

    取り敢えず事故に気を付けて!
    東京に来たら連絡してね!
    まだまだ始まったばかりだけど、無理せず旅を楽しんで下さい

    • あきら より:

      有難う!東京は通らない予定(旅は観光地で行かなさそうな場所を主に進む予定)だけど、通る時は連絡するさ!応援有難う!

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