日本縦断126日目(2016年10月8日)
試練はパンクから始まった
今日の天気は雨。カマキリも幟の上で雨宿りをしている。
僕らもレインウェアを着て出発する。今日の朝食は昨日もち吉の方から差入れしてもらった「えん餅」と疲労回復のために買ったグレープフルーツジュースだ。
出発して早々突然タイヤがパンクした。しかしパンク修理はもう慣れたので、さっさと修理に取り掛かる。もう修理できるし、道具も揃っているのでパンクは怖くない。足りない物(ハンマーは重いので敢えて持たない)は、そこら辺の物で代用する。
突如トレーラーが走行不能に!
パンク修理も終わり再び歩き出す。そして1時間くらい歩いた頃だろうか、ほんの数センチのなんてことのない段差を越えたその瞬間、突然前のタイヤだけが転がっていった!
また前みたいにタイヤをとめているネジが緩んだのだろうと思い、転がっていったタイヤを拾ってトレーラーに装着しようとしたのだが、その瞬間僕の顔から血の気が引いた。一瞬で僕は今危険な状況に陥っていることを本能的に察したのだ。
タイヤを拾った僕は、緩んだであろうネジを確認した。しかしどこにも緩んだ形跡はなく、ネジはしっかり締まっていた。タイヤが外れた原因はなんとタイヤとトレーラー本体を繋げておくためのシャフトが真っ二つに折れたためだったのだ。
事情が分かっていない妻にも、深刻な状況に陥った旨を伝える。
これはパンク修理のように簡単には直らない。むしろ治らないので部品の交換をしなくてはならない。
しかしここは畑だらけで建物もほとんどない。ましてやこのトレーラーはアメリカ製だ。部品ももちろんアメリカ製だ。
街のホームセンターや自転車屋に売っているわけではない。
冷静さが解決の鍵
焦っていた僕は、まずは冷静に解決策を考えることに専念した。冷静になればきっと解決策は見つかると思ったからだ。
・このまま放置して歩きどこかで部品を調達して戻ってくる
・このまま二輪の状態でトレーラーを押す
・ヒッチハイクしてとりあえず街まで僕らとトレーラーを載せてもらう
・僕だけ電車で街に行ってレンタカーを借り妻とトレーラーを迎えに行く
・電車に全て載せて街行って宿泊施設を確保しそこで一旦避難する
・メーカーに電話して部品が届くまでここで野宿する(飲食店が目の前にあるので食事には困らない)
などなど一瞬で多くの解決策を考えた。これだけ策があれば何とかなるなと少し安心した僕は、次にメーカーに電話して何か対処法はないか尋ねた。
すると、応急処置としてシャフトを使わなくてもタイヤをトレーラーに装着する方法を提案してくれた。
そして新しいシャフトも鳥取市内の郵便局にすぐに送る手配をしてくれた。この迅速かつ丁寧で親身な対応に、数多くのトレーラーの中からバーレージャパンのトレーラーを選んで良かったと思った。
しかし鳥取市内まではまだ70㎞もある。最低でも二日はかかる距離だ。
それにバーレージャパンの方が教えてくれた応急処置の方法には専用の道具が必要だった。しかし僕らはその道具を持っておらず、代用できる物も持ち合わせていなかった。
また僕は一休さんのように考え込んだ。「さぁどうする、さぁどうする。何か解決策はあるか」と何度も心で唱えながら、そして目を周囲にやりながらひたすら考えた。
すると後方の建物をよく見ると看板に「松本建設」と書いてあるではないか!
建設会社なら代用できる道具はきっとあるはずだと思い助けを求めることにした。
旅の神は存在する?
妻に荷物を見張っててもらい、僕はその建設会社に向かった。しかし向かいながら何か様子が変だと感じた。ひと気が全くないのだ。
「もしや廃墟か、倒産したのか!? いやまてよ、建物は綺麗だし、入り口には鎖などのバリケードもない。」
「ん?まさか!」
そう、今日は日曜だったのだ。定休日なのだろうと覚悟したが、とりあえず念のため誰かいないか確かめることにした。すると、誰もいないが事務所の窓は空いているではないか!
事務所のドアを開けて「すいません」と声を出すと、一人だけ従業員らしき人が出てきてくれた。事情を説明し、道具を借りれないかお願いしてみた。しかし残念ながら他の社員は現場に行っているようで道具はここにはほとんどないと言う。とりあえず道具を探してくれることに。
幸い会社の駐車場に道具を積んだ車が一台だけ止めてあった。
僕はすぐに妻とトレーラーを運んできた。
松本建設の方は今ある道具でどうにかできないかと色々と試してくれた。途中でもう一人の従業員の方も偶然戻ってきたので、手伝ってくれた。二人とも本当に一生懸命やってくれた。
シャフトが折れてから約2時間ほどが経った頃、なんとか無事トレーラーは走行可能な状態になった。
シャフトが折れた時はこの旅始まって以来の最大のピンチだと感じていた。なにせ場所も街中ではなく畑ばかりの場所だったので本当に危機だった。
旅の神様でもいるかのうように、すぐそばに建設会社があり、そして日曜なのにたった一人だけ事務所に人がおり、道具も偶然敷地内に止めてあった車の中にあった。
点と点を細い糸でつなぎながらなんとか解決に至ったのだ。
松本建設のお二人に何度もお礼を言って僕らは再び歩き出した。
松本建設そして助けて頂いたお二方、大変有難うございました!
まだピンチは終わらない
途中、休憩で立ち寄ったコンビニで地元の方や名古屋から旅をしているライダーと交流したりしながら進んだ。
トレーラーは走行可能な状態になったとはいえ、応急処置なのでまたいつタイヤが外れるか分からなかった。なので歩くスピードも抑えて慎重にトレーラーを押した。
修理後、トレーラーは何事もなく無事進んでくれたのだが、しかし今日のピンチはこれで終わってはいなかった。
実は今晩の寝床はまだ見つかっておらず、目的地周辺で探さなければならなかった。二度のトレーラーの修理で予定よりも3時間ほど遅れていたし、修理後も歩くスピードを抑えていたので目的地に到着するのも夜になるのは確実だった。
それでも歩けるだけマシだ。あのまま田舎道で立ち往生して夜を迎えるより、先に進めるだけで何倍も有難い。
僕らは真っ暗な中、集落や畑や牛舎の中をひたすら歩いた。真っ暗すぎて街灯の灯りも弱く感じてしまう。
そしてここは田舎だ。熊やイノシシがいないとも限らない。しかも真っ暗なので目の前に現れるまではその存在を確認することはできない。
夫婦でヒヤヒヤしながら慎重に歩いた。
真っ暗な寝床
そして21時半頃、ようやく今日の目的地周辺に到着した。近くにキャンプ場があるはずだが、もうこんなに夜遅いので受付は閉まっている。近くに道の駅もあるが、その手前に屋根付きの広場がある公園を発見した。トイレも24時間使えるし、真っ暗で僕らが寝ていても周囲からは見えない。
色々考えた末、今日はこの公園で寝ることにした。
公園やその周辺に人影はないが車通りは多い。どうやらここは少し都会のようだ。都会は野宿に適さない。犯罪に巻き込まれる可能性が高いからだ。しかしもうこんな時間なので違う場所を探す気力も残っていなかった。それに雨の中を歩く元気ももう残っていなかった。
とにかく早く寝たかった。そして朝早く動こうということになった。
今日は旅始まって以来の最大のピンチだった。しかしどうにか乗り越えることができた。きっとこの経験がこの先にも活きてくることだろう。
今晩の寝床
翌朝撮影した野宿した公園の広場
翌朝撮影した野宿した建物
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