日本縦断142日目(2016年10月24日)
銀河鉄道999や宇宙戦艦ヤマトの道
今朝の朝食はいつもより豪華だ。おにぎりだけじゃない。味噌汁に野菜もある。しかし体調は依然として絶不調。だからといって、歩かないわけにはいかない。
ホテルをチェックアウトすると、何やら歩道に銅像がたくさんある。「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクターがいっぱいいる。それにしてもなぜこれらの銅像があるのか?
実はここ敦賀市はこの両アニメとなんらゆかりは無いのだとか。調べてみると作者の松本零士氏の出身というわけでもないらしい。細かく説明すると長いので簡単にまとめると、敦賀は全国有数の鉄道と港のまちだったらしく、日本海側で初めて蒸気機関車が走っり、東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走ったりしていたのだとか。これらの銅像は「1999年に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて設置されたもの」だそうだ。
参照:漫遊敦賀
他にもこんな銅像もあった。僕らはどちらのアニメも見たことがない(見たかもしれないが全く記憶にない)ので、何がどのキャラクターなのか全く分からなかった。これもどちらかのアニメのキャラクターなのだろうと写真を撮ったが、どうやら違っていそうだ。女性の像に関しては全く分からないが、男性の像に関しては「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」という伝説上の人物らしい。
しばらく歩くとレトロなトンネルもあった。鉄道が通ったあとだろう、トンネル内は黒くなっていた。
事故に遭う
その後は道は綺麗だが人は全く歩いていない田舎道を進んだ。車もあまり通らない。進めば進むほど徐々に上り坂になってゆく。
ちなみに写真では日差しが強くて暑そうに見えるが、この時の気温はわずか13℃だ。沖縄の真冬より寒い。沖縄の皆さんはこの数字を見るだけでカチコチだろう。幸い僕らは歩いているのでそこまで寒くはないが、休憩すると動かないのですぐに冷える。
汗をだらだらアスファルトに垂らしながら坂を上っていくと、ついに峠に差し掛かった。まだ県境ではないがここは結構な峠だ。一番てっぺんにまでは上る必要はないが、その代わり1.8㎞の長いトンネルを通らねばならなかった。歩道はあるにはあるがトレーラーは通れないので自ずと車道を歩くほかない。
トンネルに入る前に僕らはいつも通り全てのライトを自分たちの体とトレーラーに装着し、2本の誘導棒も準備した。これで準備は万端。いざ、トンネルへ。
トンネル内に入ってもいつも通り安全に細心の注意を払いながら車が見えたら減速し、自分たちの存在を早い段階で知らせるため誘導棒を大きく振る。その後もたくさんのライトや誘導棒のおかげでいつも通り何事もなく進むことができる・・・はずだった。
それは一瞬の出来事だった。
僕らは上述通り、車が見えたら減速しライトと誘導棒で存在をアピールしていた。僕らに気付いた運転手は減速して通り過ぎるか、減速はしないまでも対向車線側にはみ出すくらい離れて通過してくれた。ある一台の車を除いては。
その車は僕らがいくら誘導棒を振っても減速しない。妻は歩くのをやめ端に寄って誘導棒を振り続ける。僕はトレーラーがあるのでとりあえず停止し様子をみた。しかし向こうは全く減速する気配がない。
「ん?これはおかしいぞ・・・」
車は全く減速しない。
「ヤバイ!」
と思った瞬間、車は僕の30㎝まで迫った。
僕は咄嗟に壁側に体を反らした。すると次の瞬間、「バーンッ!」と乾いた音がトンネル内に響き渡った。そして何かが宙を舞う。他の何かも飛び散る。
「もしや・・・自分の腕?」
一瞬恐怖で思考が停止したが、自分の腕を確認すると無事である。念のため他の部位も確認する。どこも怪我はなさそうだ。興奮して痛みを感じていないだけかもしれないがとりあえず今は動ける。何があったのかトレーラーを確認すると、トレーラーに装着していた誘導棒が手元部分を残し消えていた。車のサイドミラーが僕の腕に当たるほんの一瞬、手を伸ばさなくても触れられるほどの超至近距離で僕は映画のマトリックスのように体を反らし無事だったのだ。
本当に映画のようにスローモーションで、
「あ、これは当たるな」
「避けないとまずいな」
「よし、避けよう」
という感じでなぜかその瞬間だけは冷静に判断していた自分を今でもはっきりと覚えている。
事故で破壊された誘導棒
ぶつかってきた車のサイドミラーからの視点01
ぶつかってきた車のサイドミラーからの視点02(避けなければ確実に左腕に当たっていた)
後ろから見るこんな感じ
こんな感じで咄嗟に避けた
目測だが車は時速80㎞は出ていたのではないだろうか。その車はぶつかった後も減速することなく走り去った。故意でないと信じたい。怒りが無いと言えば嘘になるが、僕らは旅をしている反面、地元の人、通りすがる人など多くの方々に旅をさせてもらっている身だ。100%相手が悪いなどどうして言えようか。
命がある。左腕もある。何より妻が無事だ。それでいいじゃないか。十分じゃないか。怒る自分の感情を冷静に諭し、トンネルの最後まで気を緩めず歩いた。
トンネルを出ても命拾いした安堵感と命を落とす寸前だった恐怖心とで心が乱れている。妻は壁際まで避難していたので、取り乱すことなく普段と変わらぬ様子だった。危険な思いをしなかったのならそれで良い。結局、興奮が収まるまでに半日かかった。これまでの旅で一番死が近かった出来事だった。
旅はゴールより命
ちなみになぜ左側の車線を歩かないのか不思議に思う人もいるだろう。僕らの答えとしてはこれまでの経験上、左側の方が危険な事が多かったからだ。詳しく説明すると長くなるので、簡単に説明すると経験上それが一番事故に遭いにくいからだ。歩きや自転車で旅をしたい人は、その装備や乗り物、その時々の道、交通状況などでどこ側の車線を歩いたら安全かは違ってくるので細心の注意を払って旅をしてほしい。ゴールよりも命!安全第一で!
無知を悔やむ板取の宿
その後はいかにも熊が潜んでいそうなトイレに寄った。実はここ「板取の宿(イタドリノシュク)」という昔の関所で結構重要な場所だったようだ。ああ勿体ない。島根県の出雲大社でもそうだったが、もっと地理、歴史、文化などを学んでいればこの旅ももっと充実したものになったろうに。。。無知が悔しい。。。でも逆に捉えればこれまで以上に地理、歴史、文化に興味が湧いた!いつかまた勉強してさらに楽しい旅をしよう。その時は歩くかな??
参照:板取の宿
強面の天使
下山すると疲れ切った身体と心を休めるべく、休憩を取った。僕らが腰を下ろしてぐったりしていると、結構な強面の中年女性のトラック運転手の方がこちらにやってきた。
先ほどまで歩道がなく道が狭かったので何か文句でも言われるのかと思ったら、突然妻が話しかけた。何事もないように願ったが、それはいらぬ心配だった。妻が近くの建物が何なのか、近くにコンビニはあるのか聞くと、「向こうの建物はトイレで休憩もできるよ。コンビニももうすぐだよ。」と親切に教えてくれる。人は見かけによらないものだ。まぁ疲れていて頭もあまり回っていなかったので大目に見てほしい。僕らは寒かったので建物にはいかず、外で日光を浴びて休んだ。
すると女性がまた戻ってきた。自分用に買ったであろう飲み物を持って。ラベルには「アミノサプリ」と書いてある。疲労回復に良さそうだ。僕らはとても感謝した。いつもより感謝した。というのも実はこの時結構危険な状態だったのだ。
遡ること5時間前。そう、それは出発して間もない頃の話である。
当初、僕らは前日に飲み残したほんの少しのお茶を持っていた。だが、トレーラーに予備の飲料を積んでいたので僕らはそのお茶を躊躇なく飲み干した。それがホテルを出発してすぐの事だった。その後、僕らは先述通り山を上り峠を越えるわけだが、山の途中で重大な事に気付く。汗だくで上ってきた僕らは喉を潤そうとトレーラーから予備の飲料を取り出そうとした。
が、しかし・・・
トレーラーに飲み物は積まれていなかった。ここは山の中。お店も無ければ自動販売機も無い。強い日差しを避けることなく豪快に浴びながら汗だくで山を上ってきた僕らは脱水症状寸前だったのかもしれない。特に僕はあの重いトレーラーを押しているので汗の量が酷かった。(そしてこの後事故に遭う)
そんな経緯のあとの差し入れだったわけだ。本当に有難かった。助かった。強面だったので一瞬勘違いして申し訳なかったが、感謝でいっぱいだ。人は見かけによらない。
ああ、また見知らぬ“誰か”に助けられた。
旅とは危険な目にも遭うが人の優しさにも触れられる。なんだか長い人生を短縮したようなものかもしれない。水分を補給した僕らはくたくたになりながらもその先のコンビニになんとか辿り着き、昼食をとった。
差入れのアミノサプリと走り去るトラック
今庄の蒸気機関車
松尾芭蕉「奥の細道」の句碑:「義仲の 寝覚の山か 月悲し」(よしなかの ねざめのやまか つきかなし)
道沿いにあった仏像
今庄駅付近を歩く様子
ホテルかそれとも野宿か
今日は身も心も疲れる一日だったが、どうにか42㎞道のりを歩ききった。体調不良に、脱水症状寸前、事故、強い日差しでもう心身共に限界だった僕らは、道の駅で野宿をするかそれともホテルで休むかかなり悩んだ。しかしホテルは値段が高く、それに時刻は19時を回っていたので今からではあまり休めない。勿体ない。
僕らはホテル代を節約する代わりに、栄養と心を癒すため夕食はコンビニではなくちょっと豪華にイタリアンを食べた。汚れた服と臭い体では申し訳なかったが、他に客はいなかったので良しとしよう。妻は久々の“高級料理”に表情が和らいでいる。緊張が緩んだのだろう、本当に嬉しそうだ。それを見て僕も嬉しくなった。ほっとした。
食で癒された僕らは今一度元気を振り絞って、道の駅「西山公園」へ野宿に向かった。先に到着していたチャリダーが良い場所で既に就寝中だ。もう21時を過ぎているので当然だ。旅人にとってはもう夜中だ。僕らも早々にテントを張って寝た。
道の駅「西山公園」
日本縦断142日目の歩数
実に着かれた。もう旅も限界かもしれない。
コメント
大変でしたね❗
こちらが注意してても相手はわからない❗
私の仕事は夜車での移動が主なので自転車やましてや歩行者でも居ればヒヤリとすることもあります。
これだけ注意されててもそんな目に遇うなんて…
ドライバーは完全に見てなかったのですね‼
怪我が無くて何よりでした🍀
長い道のりの中いろんな事に遭遇します。
精神的、肉体的にも限界の頃だったのでしょうか?
ハラハラしながら一念歩記読んでます。
ほんと冷っとした、いや、ゾッとしました。私がこの旅で一番怖かったのは動物でもなく人でもなくトンネルでした。トンネル内に歩道があれば最高、無いと最悪。私たちが歩いてる横を大きなトラックが擦れ擦れに通ったり、そのトラックが通ったあとのほこり排気ガスが入り混じった強い風に必死に耐えたり、またトンネル内にカーブがあると誘導棒を持った私が走って先に進み車が来ないかどうか確認するなどホント気を張らなきゃいけない瞬間でした。そんなトンネルが一日に3つ4つあるとなると…。怪我が無くて良かったです。
あの頃は精神的、肉体的にも限界を感じながらもただただ前に進むしかないという思いでした。私もこの日記を読んであんな事もあった、こんな事もあったなと思い返され目がうるっときました。
えっ!?そんな危険なことあったの!
冬の北海道の危険さとはまた違うんだね!いずれにしろ、安全第一で頑張ってね!半年前のお二人様 笑
あれ!?話したような気がするけど(笑)そうそう、冬の北海道とはまた違った、というか一番死が近かった気がする。その後は安全第一に頑張りました!(笑)