やっと一息
ここのところ休みがほとんどない上に睡眠不足もあって、疲労はピークに達していた。
しかし今日もボランティア活動はある。幸い午前中は何も仕事がなかったので、朝食をとりつつ一昨日パンクしたタイヤの修理とコインランドリーで洗濯もすることにした。
朝食といってもいつも通りコンビニ飯だ。健康志向の強い我が家は、旅に出るまではコンビニなど不健康食の代表だと思っていたが、今となっては常連さんだ。コンビニが無ければ徒歩の旅は非常に厳しい。今は素直に感謝している。
コインランドリーでゆんたく
コインランドリーでは昨日仲良くなった「お母さん(ビレッジ内でのニックネーム)」も来たので、三人でゆんたく(沖縄の方言:おしゃべり)した。
お母さんはずっとボランティア活動をしていて疲れが溜まっているという。夜中の豪雨でも避難して僕ら同様雑魚寝したのだ。だから今日はボランティアは休んで、温泉に入って馬刺しを食べるのだとか。
羨ましい。僕らは熊本に入って以来、困難の連続で温泉や馬刺しどころではない。馬刺しは旅の途中で馬刺し屋さんに入ったものの、タレが大きなサイズしか置いておらず、馬刺しを買ってもタレは一切付けないと断られたので断念したのだった。
お母さんとのゆんたくも終えタイヤも無事直ったので、近くのドン・キホーテで新たに必要となった旅の道具を買いに行き、そのまま昼食も食べてボランティアビレッジに戻った。
元旅人のベテランボランティアとゆんたく
今日も夕方から炊き出しのボランティアがあり、下ごしらえのため集合は13時頃とされていた。僕らは時間通りに間に合ったのだが、まだ何も始まっていない。念のため既に集まっていた人に聞くと、もう手の空いていた人で12時頃には下ごしらえは終わらせてしまったという。
ここでまた2時間ほど時間が空いてしまった。しかしいつどんな仕事の依頼があるか分からないので、そのまま集合場所である中央の広場で待機することにした。
そこでも面白い出会いがあった。今日一緒に炊き出しに行く方で昨日の晩にビレッジに入った中年の男性のGさんだ。
Gさんもお遍路やオーストラリアを旅した元旅人だ。旅の話やお遍路の話がきけて面白かった。さらにGさんは以前から日本各地でボランティアをされてきたらしく、ここでは初めてだがもうベテランボランティアだった。このビレッジは比較的若いボランティアスタッフが多く見受けられるので、Gさんのようなベテランボランティアスタッフはそう多くはないだろう。
ベテランにもなると手際よく何でもこなして、先手先手で行動しそうなものだが、この方は違った。同じボランティアでも、そこにはそこのやり方があるからそこでの新人として活動するのだそうだ。
この点は非常に勉強になった。
人間は経験が豊富になると分かった気で自分の思う通りに動きたくなるものだが、さらに経験を積むと初心を忘れずその場に合わせる心を身につけることができるのだろう。僕もそうでありたいと思った。
それにこの方は僕らより年齢もだいぶ上で、ボランティア経験も比べ物にならないほどあるのに、僕らや他のボランティアスタッフをここでの先輩としてたててくれるのだ。そして実際にこの後の炊き出しの時も、周囲が困った時や躊躇が生まれた時はサッと手を挙げて「僕がやります!」と笑顔で買って出るのだ。
炊き出しボランティア開始
時刻が15時を過ぎた頃、ボランティアの仕事が始まった。荷物をトラックに詰め、本日の炊き出しの会場である熊本県立総合体育館へ向かう。
到着早々、荷物を降ろし炊き出しの準備に入る。市の職員だろうか、現地にいる多くのスタッフも積極的に手伝ってくれる。有り難い事だ。
今日の炊き出しメニューは「たまご丼」だ。数は120食分。
昨日と同じように男性陣は力作業、女性陣は調理の準備にとりかかる。
避難所も倒壊寸前
昨日も今日と同じく体育館で避難している方たちの炊き出しだったのだが、昨日は体育館で炊き出しを配った。
しかしなぜか今日は体育館の中ではなく、ロビーのような休憩場所で配るという。
よくよく聞いてみると、体育館自体がもう崩れてきているというのだ。なので体育館には避難はおろか立ち入ることすら許されないそうだ。
そういえば、ここに着いてから色んなカ所で崩れているのを目撃していた。
兎にも角にも急ピッチで炊き出しの準備をした。
大量の卵をかき混ぜてると手が痺れるのでK君とバトンタッチ!
K君も日本一周中の旅人チャリダー(いつも笑顔で人懐っこさが良い!)
昨日の経験もあったので、今日はほんの少し手際が良くなった気がする。準備をしていると続々と被災者の方たちが集まってきた。器によそい次々と机の上に並べていく。そしてそれらを被災者のみなさんに順番に配っていった。
たまご丼配りの一時休憩
炊き出しを全て配り終えると、皆さん「美味しかったです」と笑顔で言ってくれる。ある程度配り終え、少し被災者や市の職員さんたちと話したあとで、昨日と同じように急ピッチで片付けをする。
貴重な見送り体験
片付けを終えて帰ろうとしたところ、市の職員さんや被災者の皆さんが盛大にお見送りをしてくれた。大ベテランのボランティアさんも含め、他のボランティアさんも言っていたがこうやってお見送りをされたのは初めてなのだとか。ここでもまた貴重な経験をさせてもらった。
まず避難所の皆さんからお礼の言葉を頂き、続いてボランティア側のリーダーが代表の挨拶をした。そしてなぜか突如、徒歩で日本縦断中ということで僕ら夫婦に触れて頂き、僕が夫婦を代表して少し話させてもらった。
同郷の力
僕が話し終えると僕ら夫婦が沖縄出身だと知った一人の女性が近寄ってきた。どうやらこの女性も出身が沖縄らしい。僕らの顔を見るなり目には涙がこぼれんばかり。
同郷ということで安心したのか握手を求めてきた。お年を召されているので握力はないのだが、どこか力強かった。もしかすると熊本で一人で避難していて辛かったのか、と僕らには想像することしかできない。握手を交わし、少し会話をすると女性の表情は僅かばかり明るくなったように見えた。
他の方の挨拶も終わり見送りの時間もそろそろ終了に近付いてきた。お互い何も言葉が出ずただただ三人で見つめ合った。女性は「元気をもらった!」というような強い表情を一瞬浮かべ、目をタオルで抑えながら無言でうんうんと頷きなら後ろの方へ戻って行った。その様子は「大丈夫、頑張るから!」と言っているように見えた。
全員モザイクするのも手間なので写真はわざとボケているものを使用
こうして熊本地震のボランティア2日目が終了した。そしてもう奥さんも僕も疲労で倒れそうなのでボランティアはこれで終了することにした。もう少し滞在してボランティアをしたい気持ちもあったが、明日ボランティアビレッジを発つことに決めた。ここで倒れては逆に迷惑になりかねない。
結局トータル3回しかボランティア活動には参加できなかったが、それでも僅かながら被災者や被災地の役に立てたのではないだろうかと思う。ほんの少しかもしれないがこれが今回の僕らの精いっぱいだったと思う。
こちらにボランティア活動の詳細が載っています。
●災害救援ネットワーク北海道
北海道震災2カ月過ぎてやっと水が復旧のところも。県立体育館にてたまご丼120食
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